10 Years Ago (95) (Japanese)
- CMO #135 (25 July 1993) -

CMO#135は、七月25日に発行された。観測報告は、南政次(Mn)氏の17Juneのものがあるが、条件が悪く、梅雨に入ったこともあり、継続観測を断念。最終観測を11June(λ=091°Ls)とした。Mn氏は計838枚のスケッチを遂行したことになる。森田行雄(Mo)氏からは最終観測(四、五月)が寄せられている。 さらにBAAのアンドルー・ジョンソン氏よりレポートが届けられている。

「夜毎餘言・XXXVI」は、眠割と題してMn氏が御母堂の看病にあたられた際の夜間看護の状況が書かれている。Mn氏が睡眠を分割せざるを得なかったのは夜間定期的に四回看護士がケアにくるからであった。火星のシーズン開始時には、観測に行けるくらいには、回復されていたそうで、何よりであった。しかし、シーズン終了後、普通の生活にすんなりと戻るはずが、今回は夜中に目覚めてしまうことを嘆いていられる。我々の観測は、仕事や家庭状況によって左右される可能性は常にあるわけで、Mn氏の場合も、危機的状況であったと推測される。

 LtEでは、森田行雄(Mo)氏、村上昌己(Mk)氏、岩崎徹(Iw)氏、頼武揚(W.-Y.LAI)氏らが便りを寄せている。Mo氏は、このシーズン、カラー128枚、B&W133枚報告した。シーズン終了時、火星の細長い姿が丸く写ってしまうところで観測を打ちきりにしたとのこと。

Iw氏は、このシーズンの北極冠について振り返った内容。1990年には、マレ・アキダリウムが北極雲を透かして美しく見えたが、今回は視直径や季節の微妙な差のためか見ることが出来なかった。Iw氏はまた、ご自身の観測からλ350~020°LsにおけるNPRIntensity-Estimatesを作成し、これが掲載されている。頼武揚氏は、Mn氏が送った朝日新聞の『折々のうた』(頼さんの短歌が掲載された)にある他の台湾歌人についての雑感など。また、新しく購入した富士通のワープロのこと。円高元安の同時発生で、インクリボンの値段がはねあがったと記している。いずれにしても隔世の感がある。 

--------------日岐 敏明(Hk)

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