巻頭エッセイ

 

John MELLISH が革命的でなかったとどうして言えようか

南 政 次

CMO/ISMO #386 (25 June 2011)

 

以下の議論は前號に載せるつもりで書いたものが元だが、スペースの關係で載せられなかった。そこで加筆添削して今號に持ってきた。


English


日では火星面上にクレータは幾つも肉眼で見えている。ホイヘンス・クレータは大接近期でなくても見え、多くは中心にある暗い斑點が識別される。ハーシェル・クレータも眼視で見える。20cmではなかなか難しいが、筆者は宮崎氏の40cmで大接近のときに見せて貰ったし、一旦見えると25cmでも捉えられた。スキアパレッリ・クレータはエドムとして有名であり、明るいときには際立つ。ニュートン・クレータもそれとはよく判らないがカラリス・フォンスとして大接近の頃は容易である。オーストラリアのヴァリンベルティ氏はテルビィ・クレータさえccdで捉えている。

 他にも、中央丘の蔭が出ていたり、底邊が暗かったりするクレータは、昔ならオアシスとか湖とか、森として認知されていたと思うが、そういうクレータも澤山ある筈である。

 というような譯で地上からのクレータの検出はいまではそれ程不思議なことではない。ただ、實際にこれらがクレータらしく認識されるかという問題がある。

 メッリシュの問題をそういう風に見ると面白い。實は火星面上のクレータは簡單に巷間の口に上る譯ではないし、満ち欠けの激しい月のクレータのように見られるわけではないからである。

 

 シーハン氏は#383の論攷「The Craters of Mars」で、ローヱルの運河論とそれに伴う火星面の平面性などの觀念がメッリシュの時代から50年も續いたことを教えてくれた。これは本當であったのである。現代人のわれわれには、運河の時代なんぞとっくに終わったかに見える。勿論、その間カイパー氏によってピカリング弟とその一派が"Report on Mars"の毎號で運河の數を競っていたことを揶揄されたことは知っている。

 われわれも運河論争を幾らかは知っているが、當時から火星はまん丸く表面は平らであるといういまのわれわれには半ば想像が出來ないことであるが、信じられていたということは忘れない方が好い。LOWELLの時代には"He also thought that the surface of Mars must be quite flat and far less rugged in its topography than the earth, drawing his conclusion from the appearance of the planet's terminator which was not only relatively smooth but seemed to him to give its sphere somewhat the look of an irregular polygon or. as he put it , a pared apple. (W G HOYT, 1976 , p73)" 實際ローヱルの本 "Mars"(1895) で彼は「山」の存在をp43などで否定している。以後彼は「運河」を論じ、運河はflatであるからこそ、"なけなし"の水で機能したであろうし、その工夫から、そこに生息する高等生物の存在について論じたわけである(例えばp142 in "Mars As the Abode of Life"(1908)。だから、長らく、運河と同様にflatな火星の表面という概念は長く觀測者の心を捉えていたに違いないのである。多分何時かflatであることは忘れ、運河のみに奔ったのであろう。

 私達はこういう時代を餘り知らない。正直に言うと私や中島氏は1954年から觀測しているが、幾らも身が入らなかったというのが實情で、私達の先輩佐伯恆夫氏すら1956年の大黄雲のときすら黄雲中に細線運河が好く見えたと述べている。私達が精を出して火星觀測に勤しんだのは1969年以降、マリーナー六號七號が飛んでからである。やっと呪文から解放されたからである。

 

  多くはいまは運河の時代から解放されたと思っているかも知れないが、深く考えるとしかし同時にflatな火星からなかなか解放されてはいないのではないか。

 正直、運河は、アントニアディの世代に否定されている。或いはその前のバーナードの時代からそうであったのかも知れない。しかし、根源的なflatという呪文から解き放たれたのは、そう遠くはないのである。論を急ぐならば、コテージ・グローヴ出身のメッリシュはそういうflatな火星像に反駁した珍しい人物であるかも知れないのである。そうとすれば、彼は革命的であったとさえ言える。

 

 多分少なくとも二つの問題が足枷になっている。一つはメッリシュの見た火星の視直徑δ7.7"にしか過ぎなかったこと、もう一つは、火星は毎日位相を換える月のようにターミネータのギザギザがそう簡單には捉えられないことである。

然し乍ら、簡單な分解能の等式;

   1/1021/35=7.7"x

からx=23.5"と出てくるが、ヤーキスでの7.7"の火星は最上の條件であれば、35cmSCT23.5"の火星を見ているのと同じであり、近内令一氏の例に擧げられたフラナガン氏の畫像は20"を切ったものである事を考えると、メッリシュの見ていた火星の凄さが判る。35cmではしかし、最接近の火星を23.5"近くで見る機會はあるであろうが、絶對にι=38°ということはあり得ないことには注意する(これは#383 Note (11) Appendix IIでの繰り返しになるが、13Nov1915ではδ=7.7"であったということから79年を加えれば1994年が出、實際16Nov1994δ=7.7"となり、同時に位相角ι=38°、中央緯度21°Nλ=018°Ls等が判り、1915年の當日これから程遠い値ではないことは確かなのである)。つまり、これは第二の點と關するが、メッリシュの時のように、位相角の大きいターミネータがギザギザの火星を見ることは簡單に出來ないのである。更に、もう一つ附け加えれば、月の場合はローテーションが無い。それに對して火星の場合は時間的に次から次へとターミネータが變化して行くのであり、一時間も見續ければ、缺けてはいるが故に大接近のような大きな火星で、火星の模様のターミネータでの全貌は判るであろう。

 

  シーハン氏もあの論攷ではバーナードの存在を好く描いてはいないし、メッリシュが何時いかなる方法で彼の觀測を公表したかについてハッキリとはしない。

 しかし、ビーシュ氏のようにシーハンの議論が似而非科學というのは間違っている。スケッチこそ判らないが、いま述べたように觀測時も觀測のときの状況、つまり季節、視直徑や位相角、中央緯度までほぼ判っている。とすれば、これはメリッシュの主張は反証可能(falsifiable)なのである。一般にいかなる主張もカール・ポッパーの語法に随えば、もしことがfalsifiableならば科学的なのである。非科学的というのは反証不可能な(unfalsfiable)な陳述の場合だけである。もっと簡單に言えば、どの様にしても間違っていないと証明できないような補題は科學的でないということである。

 逆に特の多く曖昧な畫像を元にして恰も確かであるかのように言う場合が多い。一方、シーハンの議論は充分にfalsifiableな事柄について述べていて、科学論として成り立っている。メッリシュのスケッチはもう返らないという意味で、反証可能性がないように見えるかも知れなないが、彼の言っていたことは反例(counterexample)によって反証(falsified)されるかそうでないか議論されるなら充分科学的なはずである。(falsifiablefalsifiedとを混同してはいけない)

 

 細かな議論は近内令一氏の前号のLtEに譲る。中央緯度tiltの問題を外せば、35cmで充分檢証の可能性があり、それ以上のことだと言っている。つまり、ハッキリいってターミネータのギザギザは35cmでは102cmを越えられないのである。言い換えればメッリシュには充分反証可能性があり、吟味すれば、メッリシュは正しかったろうということである。

 メッリシュの言っていることをシーハン氏の文章からもう一度引用しておこう。

 [Mars] is not flat but has many craters and cracks.  I saw a lot of the craters and mountains with the 40 and could hardly believe my eyes and that was after sun rise and mars was high in a splendid sky and I used a power of 750.

 明らかに彼は言葉を省略しているが、ターミネータのギザギザを見ている。多分メッリシュは火星の地理に明るくなかったのであろう。換わって、シーハン氏はクラックはアガトダエモンであったかも知れず、アルギュレの北のクレータ群はネレイドゥム・モンテスかもしれない、と述べている。通常アガトダエモンは亀裂のようには見えない、しかしターミネター際では凹みとして見えることがあるようで、宮崎勲氏は1988年に40cm反射で經驗している[17 Aug 1988 (λ=254°Ls) at ω=139°W, φ=20°S, δ=19.8", ι=32°; 18 Aug 1988 (λ=255°Ls) at ω=120°W, δ=20.0", ι=31°; 19 Aug 1988 (λ=256°Ls) at ω=101°W, δ=20.1", ι=31°]。從って、102cmはそれを遙かに凌ぐと思われる。クレーターの壁も同様であろう事は想像に難くない。

 50°Sという話題は後で彼が他人に話すときに(他人に助けられて)作られていった神話であろう。彼が地理を知らなかったことによって彼の客觀性は變わるわけではない。

 

 メッリシュが受け入れられなかったのは、彼の觀測が不幸な火災で焼けて仕舞ったことだけでなく、革命的であったからかも知れないのである。もう一度いうと7.7"に引っ掛かったのであり、人々は火星がフラットいう先入觀からギザギザの可能性を忘れたのである。

  不幸なのは、メッリシュにも責任があるが、トム・ケーヴのような人物が介在したことかもしれない。ケーヴは相手を選ぶ曖昧な人間であったかもしれないし、あとでアントニアディはパリ解放前に死んでいたことを知ったのかもしれない。第一、ケーヴは50°Sの何たるかは知っていたであろうが、この場合火星がflatでないことなどには思いも至らなかったであろう。

 また、當時の科學界が知識が反証可能性なることによって進化することを知らなかったことも考慮しなければならない。これは先輩バーナードの責任でもあろう。

 私にも今回の議論には幾らか責任があり(シーハンは私に被けようとしたところがあった。LtEでは消したが)、私はdubiousと言っただけで否定はしなかったが、Note (11)での議論、特にAppendix Iでは、問題はオリュムプス・モンスについての議論であり、これからメッリシュが埒外であるのはおかしいと思ったからであるが、メッリシュがタルシス三山等に就いての知識が判然としなかったことにも依る。但し私にはメッリシュはバーナードのスケッチを照合したとすれば、タルシス・モンテスやオリュムプス・モンスをも見ていたような氣もしてくるのである。ただ彼は火星の地理の名稱を知らなかったであろうし、オリュムプス・モンスを端まで追っ掛けたとも思えない。また、季節はλ=018°Lsであったから山岳雲は出ていたかも知れない。多分此の知識もなかったであろう。

 

  最後に、ビーシュの

http://www.alpo-astronomy.org/jbeish/Martian_Craters.htm

に載った議論("Can We See Martian Craters from Earth?")を少し吟味しておく。此のサイトは前号の編集〆切の前に見附けた。

 この議論の欠點は恰も写真で反證したかのように装っていることである。Fig.4からFig.8までの写真はいずれも平面圖(Projection Map)から構成されたもので、そういうものでターミネータ際の様子を再現できるものではない。つまりflatな火星圖を以て火星はフラットと言っているようなものである。これこそ似而非科學である。

  [序でに言えば、近内令一氏も指摘したことであるが、ビーシュに出てくる初等的な數式に出鱈目が多い。先ず太陽の高さと位相角の混乱が見られる。どちらもαとなっている。Fig.2で位相角をαとし、蔭ss=htanαとするなら、圖のα(π/2α)、つまり頂角をαにしなければならないのである。そうすれば、s=h/tanα=hcotαである。而も、この式はCMでしか成り立たない。CMでの蔭を議論してもしようがないではないか。もっとターミネータ近くでの高さhwallの蔭を見なければならない。いま、ターミネータから中心角γだけ入ったところをみれば、蔭の長さss=hcotγである。γが小さくなれば、蔭は無限大となる。いまγ20°とすれば、s=h×2.75 で、從ってh=2kmとすれば、 s=5.5km になるが、40分後にはγ=10°となるから、s=11.3kmに延びる。但し、これは實際上のsであって地球から見ていると、位相角ιの効果が入り、地球から見た蔭の長さse se=hcotγsin(ι+γ)となる。いま、γCMに來るとすれば、γ=(π/2)ιだから、s=hcot((π/2)ι)=htanιになるのである。この點を見ただけでも彼の式が附け焼き刃であることが判る。もしこうした式が入って居るからといってビーシュ氏の論考が科學的というなら全く科學的ではない。]

 尚、此の圖は2007年の火星を模したことは、マルガリティフェル・シヌス邊りの風景の獨特の様子から判る。ビーシュ氏は不幸なことにCMO-ファンではないから、CMOでは2007年の火星の特徴としてこの點は繰り返し強調してきた點を知らなかったのであろう。實際にはHSTの場合の平面圖は

http://hubblesite.org/newscenter/archive/releases/2007/45/image/g/format/web/

にある。HSTWide Field Planetary Camera 22007年の回転圖

http://imgsrc.hubblesite.org/hu/db/videos/hs-2007-45-a-high_quicktime.mov

もあるから(たった四枚で構成している)、すべて同根であろう。彼の1915年はこれらを寄せ集めたご苦勞があろうが、ソフト制作者の責任でもある。

季節はDec 2007とあるから、北の春分頃だが、これは前にも述べたように1915年の火星は1994年の火星に似ていて、これに15年を加えると2009年になるが、2007年とすれば当たらずとも遠からずというところであろうか。お蔭で、アルバ・モンスに掛かる雲などはHSTと同じように出ている。ただ笑ってしまうのは2003年八月27日の火星を再現していることで、流石これは違うモデルを採ったろうにと思ったが、矢張り2007年らしい。マルガリティフェル・シヌスの淡化した邊りを見れば瞭然であるし、ノアキス西端の小さな白雲まで再現している、一方南極冠は、ミッチェル山の最も興味深い時期にあたりながら、何の工夫もない合成物である。これは當時の實冩と比較すれば明白である。モデルにもならない。

1915年の圖に戻っても、幾ら平面圖を並べても此処で問題にしている點ではfalsifiableにならないということである。大事な點だから繰り返すと、必要なのはターミネータ近くでのクレータとかクラックの状態描冩で、これがなければ數値や圖を幾ら並べても何の反證にもならないということである。

  先に述べた1988年の宮崎勲氏の場合は、ιが可成り大きいときターミネータでアガトダエモンに切れ込みが入っていることを觀測している事は忘れてはいけない(彼は2003年にも試みたがシーイングが不良で適わなかったと聞いた)。このことからみても、ターミネータの見え方は獨特のものであるから、何度も言うように平面圖や回轉圖からは實現できない。

 

  以上から私の結論はこうである。メッリシュはターミネータで確かに火星の凸凹を見たということである。どのクレーターというわけにはいかないのであるが、壁の蔭を見たはずであるし、或いは中の黒い斑點も見たかもしれないし、クラックを見たことは間違いない。又雲も見たであろう。火星はflatでないことはここから明らかであったのである。このことを認めるのに躊躇する人達は、シーハン氏が氣附かせてくれたflatの問題から抜けきれないからである。

 

 あとで檢証されたという意味では、ホイヘンスの土星の環の問題に似ていないことはない。彼は眼視で環を見分けたのではない。彼の長年の觀測から「環」と考えると辻褄が合う、腑に落ちると考えたのである。その點で革命的であった。メッリシュの場合はflatという觀念から抜けきれない火星界で苦勞したということであろう。從って、兩者とも革命的であったが、ただ檢証は、ホイヘンスの場合は望遠鏡の發達で成し遂げられたが、皮肉なことにヤーキスの屈折は頂点にあってその後發展しなかった。從って、スペース・クラフトによって成し遂げられるのを待つより他はないのである。HSTの火星は愚か者によって支配されているなら、位相角の大きい時を餘り狙わないだろうが。(私は黄雲の發生に關してιの大きい朝方を狙えと繰り返し言っているのだが。)

 


日本語版ファサードに戻る / 『火星通信』シリーズ3の頁に戻る